MENU

机の下の微笑み

机

日が落ち始め、教室の窓からは橙色の光が斜めに差し込んでいた。森川真琴は期末テスト勉強のために放課後も残っていた。同じクラスの友達はとっくに帰宅し、部活動をしている生徒たちの声も次第に遠ざかっていくのが聞こえた。

「やっぱり家だと集中できないからね」と独り言を言いながら、真琴は教科書のページをめくった。彼女はクラスでも真面目な方で、テスト前になると一人で残って勉強することが多かった。

時計の針は六時を指し、校内放送が流れた。

「本日の部活動は終了時間です。速やかに下校の準備を始めてください」

真琴は少し息を吐き、肩をほぐした。「あと一時間くらいで終わらせよう」と決意を新たにし、数学の問題に取り掛かった。

教室の照明は消えていたが、夕日の光と廊下の明かりで十分に見えるし、節電にもなると思っていた。真琴が一心不乱に問題を解いていると、ふと違和感を覚えた。何かに見られているような感覚。

「気のせいかな…」

真琴は首を振り、再び問題に集中しようとした。しかし、もう一度その感覚が襲ってきた。視線を感じる。彼女はゆっくりと顔を上げ、教室を見回した。誰もいない。廊下にも人の気配はない。

そのとき、ふと足元に何か動くものがあるような気がした。反射的に机の下を覗き込む。

そこには—何もなかった。

「本当に疲れてるのかな」と真琴は小さく笑った。しかし、その笑顔はすぐに消えた。再び机に向かい勉強を続けようとしたとき、視界の隅に何かが映った。机の下から何かが彼女を見ていたような…。

再び机の下を確認する。何もない。

「もう、変なの」と自分を叱りながら、真琴は問題集に視線を戻した。しかし集中できない。何度も何度も、視界の隅に動くものが映るような気がする。それは常に机の下からだった。

それから15分ほど経っただろうか。真琴は鉛筆を置き、深呼吸をした。

「もういい加減にして」と心の中で思いながら、彼女はゆっくりと机の下を見た。

最初は何も見えなかった。しかし、目が暗闇に慣れてくると、そこにあるものが徐々に形をなしてきた。丸い輪郭。二つの穴。そして、一本の線が横に伸びて…。

「顔…?」

真琴の血の気が引いた。その「顔」は机の奥、彼女の足元から少し離れたところにあった。それはただそこにあり、彼女を見つめていた。表情はない。ただの輪郭だけの顔。しかし、確かにそれは彼女を見ていた。

真琴は叫び声を上げそうになったが、喉が固まって声が出ない。震える足でゆっくりと立ち上がり、机から離れた。

「誰…誰かいるの?」

返事はない。教室は静まり返っていた。勇気を振り絞って、もう一度机の下を覗き込む。今度は何も見えなかった。

「やっぱり疲れてるんだ…」と自分に言い聞かせ、真琴は荷物をまとめ始めた。早く帰った方がいい。そう思った矢先、彼女の足に何かが触れた。

冷たい、湿った感触。

真琴は凍りついた。足元を見る勇気がなかった。しかし、その感触は消えなかった。むしろ、徐々に上へと這い上がってくるような感覚。

恐る恐る足元を見下ろすと、そこには先ほどの顔があった。今度ははっきりと見える。それは人間の顔のようだったが、どこか違う。目は大きく見開かれ、口は不自然なほど横に広がっていた。

そして、その口がゆっくりと動き始めた。

「み・つ・け・た」

乾いた、かすれた声。まるで長い間誰とも話していなかったかのような声だった。

真琴の体は震えが止まらなかった。逃げなければ。そう思ったが、足が動かない。

その「顔」は彼女の足から膝へと這い上がってきた。それはもはや顔だけではなかった。黒い、人型のようなものが真琴の体に絡みついてきていた。

「だ・れ・も・い・な・い・ね」

その声はますます近づいてきた。真琴はようやく叫び声を上げることができた。

「誰か!誰か助けて!」

廊下から足音が聞こえた。誰かが走ってくる。教室のドアが開き、用務員の大河内さんが驚いた顔で入ってきた。

「どうしたんだ!?」

真琴の足元を見る。何もない。

「大河内さん…私…」真琴は言葉に詰まった。

「こんな時間まで残ってたのか。危ないよ、早く帰りなさい」大河内さんは優しく言った。

真琴はぎこちなく頷き、荷物を持って立ち上がった。足元には何もなかった。幻だったのだろうか。疲れからくる幻覚?

大河内さんに見送られ、真琴は学校を後にした。帰り道、彼女は何度も振り返りながら歩いた。誰も後をついてきていない。


翌日。

「真琴、具合悪いの?」友達の美咲が心配そうに声をかけてきた。

「ん、ちょっと寝不足で…」真琴は無理に笑った。昨夜はほとんど眠れなかった。あの「顔」が頭から離れなかったからだ。

「そうなんだ。あ、それより知ってる?大河内さんが」

「大河内さん?」真琴は顔を上げた。

「昨日の夜、学校で倒れてたんだって。救急車で運ばれたけど…亡くなったらしいよ」

真琴の顔から血の気が引いた。

「え…いつ…?」

「七時頃だって。警備員さんが見回りで見つけたんだって」

七時。真琴が大河内さんに助けられたのは六時半頃だった。

その日、放課後。真琴は勇気を出して大河内さんの話を聞きに職員室へ向かった。そこで彼女が知ったのは、大河内さんが昨日の午後四時に早退していたという事実だった。

「でも、私、昨日…」

真琴は言葉を失った。昨日彼女を助けてくれたのは誰だったのか?

その日から、真琴は放課後の教室に一人でいることはなくなった。しかし、時々授業中に、机の下から誰かが彼女を見上げているような気がすることがある。そして、たまに耳元でこうささやく声が聞こえる気がする。

「も・う・す・ぐ・だ・よ」

机の下の「顔」は、まだ真琴を待っている。