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消せないポップアップ

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深夜の静寂を破るのは、キーボードを叩く音だけだった。高橋修平は会社の企画書の最終調整に没頭していた。締め切りまであと数時間。いつものように徹夜になりそうだ。

「あともう少しだけ…」

そう呟いた瞬間、画面の右下に小さなウィンドウが表示された。鮮やかな赤い背景に白い文字。

『あなたのPCがウイルスに感染しています!今すぐクリック!』

修平は眉をひそめた。普段からセキュリティ対策には気を配っている。こんな怪しげな広告が出るはずがない。いつもの習慣で右上の×印をクリックして閉じようとした。

ポップアップは消えた。しかし安堵したのもつかの間、すぐに同じウィンドウが再び表示された。今度は画面の左上だ。

「なんだこれ…」

もう一度×印をクリックする。消えた。そして再び現れる。今度は画面中央に。

『あなたのPCがウイルスに感染しています!今すぐクリック!』

修平は焦りはじめた。アンチウイルスソフトを起動させ、スキャンを開始した。結果は「脅威なし」。おかしい。タスクマネージャーを開き、怪しいプロセスがないか確認する。特に異常はない。

それでもポップアップは消えては現れ、消えては現れを繰り返した。場所も大きさもランダムに変化し、修平のイライラは頂点に達していた。

「くそっ、どうなってるんだ…」

企画書の締め切りが迫っている。時間がない。修平は一旦PCを再起動することにした。シャットダウンの操作をする直前、ポップアップの文言が変わった。

『再起動しても無駄です。修平さん。』

背筋が凍りついた。名前を知っている。そんなはずはない。悪質な広告が個人情報を取得することはあるが、こんな形で表示されるなんて。

恐る恐るPCを再起動させた。起動画面、ログイン画面と進み、デスクトップが表示される。一瞬の静寂。そして—

『お帰りなさい、修平さん。私を消そうとして、ごめんなさいね?』

今度は画面全体を覆うほどの大きさになっていた。修平は椅子から飛び上がりそうになった。冷や汗が背中を伝う。何かがおかしい。これは単なる広告ではない。

「なんなんだお前は!」

叫ぶように言った瞬間、ポップアップの文字が変わった。

『私はあなたが消したものです。』

意味が分からない。修平は頭を抱えた。消したもの?何を消したというんだ?記憶を必死にたどる。

ふと、一ヶ月前のことが頭に浮かんだ。SNSで知り合った「美咲」という女性とのやりとり。彼女は熱心にメッセージを送ってきた。最初は好意的に返していたが、次第にその執着が怖くなり、突然ブロックした。それ以来、彼女からの連絡は一切なくなった。

『思い出しましたか?私を消したことを。』

画面の文字が修平の思考を読むかのように変化する。冗談ではない。こんなことがあり得るのか?

「美咲…なのか?」

ポップアップは一瞬消えた。しかし次の瞬間、画面全体が真っ赤に染まり、大きな白い文字が浮かび上がる。

『正解です。修平さん。でも、私はもう美咲ではありません。私はあなたが消したもの全て。あなたがクリックひとつで切り捨てたもの全て。』

修平は震える手でマウスを掴み、再びポップアップを閉じようとした。しかし×印は消えていた。代わりに画面中央には一つのボタンだけ。

『謝罪する』

他に選択肢はない。修平は恐る恐るそのボタンをクリックした。

『謝罪を受け入れます。でも、代償を払ってもらいます。』

画面が突然暗くなり、PCの電源が落ちた。同時に部屋の電気も消える。真っ暗闇の中、スマホの画面だけが青白く光った。通知音が鳴る。

「誰だ…?こんな時間に…」

表示された通知は見知らぬ番号からのメッセージ。

『あなたのように私を消さないで。』

修平はスマホを床に落とした。画面が割れる音がする。しかし青い光は消えない。むしろ、割れた画面から光が漏れ出し、部屋中に不気味な模様を映し出した。

次の日、修平は会社を休んだ。企画書の締め切りも過ぎた。スマホの電源も入れなかった。新しいPCを購入し、セットアップした。これで全て解決すると信じたかった。

しかし、その夜。新しいPCの画面にもあのポップアップが現れた。

『新しいPCですね。気に入りました。これからもよろしく、修平さん。』

その後、修平のSNSアカウントには奇妙な投稿が増えた。彼が書いた覚えのない謝罪文や意味不明なメッセージ。友人や同僚は彼の様子を怪しみ始めた。

「最近どうしたの?」「変なメッセージ送ってくるけど、冗談?」「大丈夫?」

修平は説明することができなかった。誰も信じないだろう。デジタルの世界に取り憑かれたなんて。

一週間後、修平は全てのデジタル機器を捨て、田舎の実家に帰ることを決めた。スマホもPCも使わない生活を送ることにした。

実家に着いた夜。久しぶりに安心して眠りについた修平。しかし真夜中、古いブラウン管テレビから不気味なノイズが聞こえ、彼は目を覚ました。砂嵐の画面に浮かび上がる赤い背景と白い文字。

『どこにいっても、私はあなたを見つけます。私を消せないように、あなたも消せなくしてあげる。』

修平は悲鳴を上げた。しかし、家族は誰も起きてこない。テレビの音量は最小なのに、彼にだけは響き渡るように聞こえる。

翌朝、修平の部屋は空だった。ベッドには彼の形がくっきりと残されていたが、体はどこにもない。枕元には一枚のメモだけが。

『私はあなたを消しませんでした。あなたが自分を消したのです。現実世界であなたを待っています。—美咲』

実家のリビングでは、古いブラウン管テレビがついたままになっていた。そこには砂嵐の中、かすかに映る若い男性の姿。彼は必死に画面を叩いているように見える。しかし音は全く聞こえない。

時々、画面の隅に小さなポップアップが表示される。

『消えないのはあなたのせいです。』