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変わるパスコード

スマホのロック画面

深夜0時を過ぎた頃、私は布団の中でスマホをいじっていた。SNSをチェックしたり、動画を見たりする、いつものルーティンだ。眠気が襲ってきて、画面を消そうとした時だった。

「あれ?」

スマホが勝手にロック画面に戻っていた。別に珍しいことではない。しばらく操作しないと自動でロックされる設定にしてあるからだ。私は慣れた手つきで6桁のパスコードを入力した。

「1」「2」「3」「4」「5」「6」

単純なパスコードだが、誕生日でもなく、誰にも推測されにくい数字の組み合わせを選んでいる。もう3年以上使っている。

しかし、画面は何の反応も示さなかった。

「パスコードが正しくありません」

そんなはずはない。私はもう一度、今度はより慎重に入力した。

「1」「2」「3」「4」「5」「6」

再び同じメッセージが表示される。おかしい。私は確実に正しいパスコードを入力している。指の感覚で覚えているのだ。

3回目の挑戦も失敗した。そして4回目、5回目も。

気がつくと、ロック画面の壁紙が変わっていた。

いつもの風景写真ではなく、薄暗い部屋の中に人影が写っている写真が表示されていた。影は輪郭がはっきりしないが、確実に人の形をしている。そして、その人影は明らかにこちらを見つめていた。

私は息を呑んだ。この写真に見覚えがない。私のスマホに保存した覚えもない。

「何だこれ…」

私は手が震えながらも、再びパスコードを入力しようとした。しかし、今度は数字キーパッドの配置が変わっていた。「1」があるべき場所に「9」が、「2」の場所に「5」がある。まるでランダムに配置し直されたようだった。

混乱しながらも、元の位置を思い出しながら「1」「2」「3」「4」「5」「6」を入力した。しかし、やはりロックは解除されない。

そんなことを繰り返しているうちに、気がつくと時刻が3時を回っていた。私は一度スマホを置いて、深呼吸をした。きっと寝不足で集中力が欠けているのだろう。明日の朝、改めて試してみよう。

しかし、眠ろうとしても、あの写真のことが頭から離れなかった。薄暗い部屋の中の人影。その視線が私を見つめていたような気がしてならない。

翌朝、私は再びスマホを手に取った。ロック画面には昨夜と同じ写真が表示されている。しかし、よく見ると、写真の中の人影の位置が微妙に変わっているような気がした。昨夜は部屋の奥にいたはずの影が、今度は少し手前に移動している。

そんなはずはない。写真が動くわけがない。私の記憶違いだろう。

パスコードを入力しようとすると、数字の配置は元に戻っていた。私は安堵しながら、いつものパスコードを入力した。

「1」「2」「3」「4」「5」「6」

しかし、またしても「パスコードが正しくありません」のメッセージが表示される。

何度も何度も試したが、結果は同じだった。そして、試行回数を重ねるごとに、ロック画面の写真が変化していることに気がついた。

最初は薄暗い部屋の奥にいた人影が、だんだん手前に近づいてくる。そして、輪郭もはっきりしてくる。それは明らかに男性の姿で、私を見つめている。

5回目の失敗の後、その男性の顔がはっきりと見えるようになった。年齢は40代前後だろうか。やせ型で、眼鏡をかけている。そして、薄気味悪い笑みを浮かべながら、画面越しに私を見つめていた。

私は慌ててスマホを床に放り投げた。心臓が激しく鼓動している。

これは絶対におかしい。スマホがハッキングされているのか?それとも、何かのウイルスに感染したのか?

私はパソコンを立ち上げ、同じApple IDでiCloudにアクセスしようとした。しかし、パスワードが通らない。Apple IDのパスワードまで変更されている。

携帯電話会社のカスタマーサポートに電話をかけようとしたが、固定電話を持っていない私には、そのスマホしか連絡手段がなかった。

友人に助けを求めようにも、連絡先はすべてスマホの中だ。

私は呆然とした。現代社会において、スマホを失うということは、社会とのつながりを失うということを意味する。

そんな中、床に置いたスマホから小さな音が聞こえた。通知音だ。

恐る恐るスマホを手に取ると、ロック画面に通知が表示されていた。

「新しいメッセージ」

差出人は「Unknown」となっている。メッセージの内容は画面上では見えないが、プレビューで一部が表示されていた。

「見つけたよ、田中太郎。君の住所は…」

私の名前だ。しかも住所らしき文字列も一部見える。

血の気が引いた。

誰かが私のスマホを乗っ取り、私の個人情報を取得している。そして、私を監視している。

私は急いで近所の交番に向かった。しかし、警察官に事情を説明しても、なかなか理解してもらえない。

「スマホのパスコードを忘れただけじゃないんですか?」

「いえ、違うんです。誰かに乗っ取られて…」

「物的証拠がないと難しいですね」

結局、警察は取り合ってくれなかった。

その夜、私は友人の家に泊まらせてもらった。スマホは電源を切り、引き出しの奥にしまい込んだ。

しかし、夜中に目が覚めた時、枕元でかすかな光が見えた。

スマホの画面が点灯している。電源を切ったはずなのに。

私はスマホを手に取った。ロック画面には、あの男性がより鮮明に映っている。そして、今度は私の部屋らしき背景の中に立っていた。私の部屋の家具や配置が正確に再現されている。

男性は相変わらず薄気味悪い笑みを浮かべながら、こちらを見つめている。

画面の下に、新しいメッセージの通知が表示されていた。

「もうすぐ会えるね」

私は恐怖で震えながら、スマホを床に叩きつけた。画面にひびが入り、光が消えた。

翌朝、私は新しいスマホを購入し、携帯電話会社で回線を変更した。古いスマホは完全に破棄してもらった。

それから1週間が過ぎた。新しいスマホで平穏な日々を送っていたが、ある夜、また同じことが起こった。

新しいパスコードが通らない。ロック画面に見知らぬ写真が表示される。そして、あの男性が写っている。

今度は私の新しい部屋の中に立っていた。

私は気がついた。問題はスマホではない。あの男性は、私自身に憑りついているのだ。

私は部屋を見回した。すると、窓の外にあの男性が立っているのが見えた。4階の窓の外に、重力を無視するように宙に浮いて、薄気味悪い笑みを浮かべながら私を見つめている。

私は悲鳴を上げながら、カーテンを閉めた。

翌日、私は精神科を受診した。医師は統合失調症の可能性を示唆し、薬物療法を提案した。私は藁にもすがる思いで治療を始めた。

薬を飲み始めてから2週間が過ぎると、あの現象は徐々に収まっていった。スマホのパスコードも正常に通るようになり、ロック画面に見知らぬ写真が表示されることもなくなった。

私は安堵した。やはり精神的なものだったのだ。ストレスと睡眠不足が引き起こした幻覚だったのだろう。

治療を始めてから1ヶ月が過ぎた頃、私は医師に経過を報告した。

「症状は完全に消失しました。ありがとうございます」

医師は微笑みながら頷いた。

「それは良かった。ところで、田中さん」

医師の表情が急に真剣になった。

「実は、あなたの症状について、興味深いことがわかったんです」

「どういうことですか?」

「あなたが言っていた『あの男性』の特徴を、他の患者さんも全く同じように報告しているんです」

私は言葉を失った。

「40代前後、やせ型、眼鏡をかけた男性。薄気味悪い笑み。そして、スマホのロック画面に現れる。もう7人の患者さんが、全く同じ症状を訴えています」

医師の言葉が頭の中で反響した。

「先生、それは…」

「統合失調症の幻覚にしては、あまりにも詳細が一致しすぎています。まるで、同じ存在を見ているかのように」

私は震え上がった。

「そして、さらに興味深いことに」医師は続けた。「その7人の患者さんは、皆さん同じ時期に症状が現れ、同じ時期に症状が改善しています。まるで、何者かが意図的に操作しているかのように」

医師は私を見つめた。その眼鏡をかけた顔に、薄気味悪い笑みが浮かんでいるのを私は見た。

「田中さん、あなたのスマホのパスコード、教えてもらえませんか?」

私は医師の正体に気がついた時には、もう遅かった。診察室のドアは既に施錠されており、私は閉じ込められていた。

医師は立ち上がり、私に近づいてきた。

「新しいスマホ、買いましたね。パスコードを変えても無駄ですよ。私はあなたを見ている。ずっと、ずっと見ているんです」

私は診察室の窓に向かって走った。しかし、窓には鉄格子がはまっている。

振り返ると、医師は私の新しいスマホを手に持ち、何かを操作していた。

「パスコード、変更完了です。これで、あなたは永遠に私の監視下に置かれます」

私は絶望的な叫び声を上げた。

しかし、その時、診察室のドアが開いた。看護師が入ってきた。

「先生、次の患者さんが…」

看護師は私たちの様子を見て、困惑した表情を浮かべた。

「田中さん、どうされましたか?先生はもう診察を終えて、他の患者さんのところに行かれましたよ」

私は振り返った。医師はもういなかった。診察室には私一人だけがいた。

机の上には、私のスマホが置かれていた。画面を見ると、ロック画面に新しいメッセージの通知が表示されていた。

「ゲームクリア。次のプレイヤーを探します」

そして、その下に小さく追記されていた。

「あなたは8人目のプレイヤーでした。ありがとうございました」

私はようやく理解した。これは誰かが仕掛けた悪質なゲームだったのだ。私は操り人形として利用されていたのだ。

しかし、それと同時に恐ろしい事実に気がついた。

次のプレイヤーは誰になるのだろうか。そして、私は今度は、プレイヤーを操る側に回ることになるのだろうか。

スマホの画面を見ると、新しいアプリがインストールされていた。

「Player Control」

私は震える手で、そのアプリを起動した。