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廊下の幽影

廊下

古い二階建ての一軒家に越してきて三ヶ月が経った。私は仕事の都合で地方から東京に引っ越してきたのだが、家賃の安さだけを理由にこの家を選んだことを、後悔し始めていた。

最初は気にならなかった。少し古い家具の軋む音、風が吹くと揺れる窓ガラスの音、そして夜中に聞こえる水道管のうなり声。これらは古い家によくある症状だと思っていた。

しかし、先週から様子がおかしい。特に二階と一階をつなぐ廊下が。

それは月曜の夜、仕事から帰ってきた時に始まった。玄関のドアを開けると、二階へ続く廊下の突き当たりに、人影のようなものが見えた気がした。しかし、電気をつけると何もなかった。疲れているだけだと思い、気にせず寝た。

次の日も同じだった。今度は影が階段を上るような動きをした。振り返ると、また消えていた。気のせいだと自分に言い聞かせた。

三日目、私は遅くまで仕事をして帰宅した。玄関を開け、廊下を見上げると、階段の上に黒い影が立っていた。今度ははっきりと人の形をしていた。私が見つめると、それはゆっくりと振り返り、二階の廊下へと消えていった。

その夜から、私は二階に上がるのが怖くなった。一階のソファで寝るようになった。しかし、夜中に目が覚めると、二階から足音が聞こえてくるのだ。誰かが廊下を行ったり来たりしているような、重い足音。

五日目、勇気を出して二階に上がることにした。階段を一段、また一段と上がっていく。心臓は激しく鼓動し、手に汗をかいた。二階の廊下に足を踏み入れると、温度が急に下がった。真冬のように寒い。

その時、廊下の奥から「カタン」という音がした。振り向くと、廊下の突き当たりにある私の寝室のドアがゆっくりと開いていく。中は真っ暗だ。

「誰かいるの?」と声をかけたが、返事はない。震える足で一歩一歩、寝室に近づいていった。

ドアを開け、中を覗き込むと、窓から差し込む月明かりだけが部屋を照らしていた。ベッドの上に何かがある。近づいてみると、それは一枚の古い写真だった。

写真には、この家の廊下が写っていた。そして廊下の突き当たりに、一人の女性が立っている。顔は見えないが、長い黒髪が特徴的だ。写真の隅には日付が書かれていた。30年前のものだ。

写真を手に取った瞬間、背後で息遣いを感じた。凍りつくような恐怖が背筋を走る。ゆっくりと振り返ると、そこには長い黒髪の女性が立っていた。顔はないのに、私を見つめているのがわかる。

私は悲鳴を上げて部屋から飛び出した。階段を駆け下りようとした時、足首を何かに掴まれた。振り向くと、黒髪の女性が床を這いながら私の足に手を伸ばしていた。その手は異常に長く、爪が鋭く尖っている。

「離して!」と叫びながら足をもがいたが、女性の力は強い。私を引きずり始めた。廊下の奥へ、暗闇の中へ。

その時、玄関のチャイムが鳴った。女性は動きを止め、私を見上げた。チャイムがもう一度鳴り、女性はゆっくりと手を離した。床を這いながら、廊下の暗がりへと消えていった。

震える手で玄関のドアを開けると、不動産屋の男性が立っていた。 「すみません、前の住人の荷物が少し残っていたので」と、彼は箱を差し出した。

「前の住人って?」と尋ねると、男性は不思議そうな顔をした。 「知らなかったんですか? 30年前、この家の二階の廊下で首を吊った女性ですよ。そのせいで、この家は長い間売れなかったんです」

その夜、私は荷物をまとめ、二度とこの家に戻らないことを決めた。しかし今でも、眠りにつく直前、廊下を歩く重い足音が聞こえるような気がする。そして時々、長い黒髪が視界の端に見えるのだ。