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深夜の手術室

廃病院

夏の夜の蒸し暑さが、廃病院の前に立つ四人の大学生の肌にまとわりついていた。

「本当にここに入るの?」美咲が不安げに呟く。錆びついた看板には「聖和総合病院」と書かれているが、その文字は剥がれかけて不気味な影を作っていた。

「せっかく来たんだから、やろうよ」翔太が懐中電灯を振りながら言った。「肝試しって言ったって、ただの廃墟でしょ?」

隆史が重いドアを押し開けると、錆の匂いと古いアルコール消毒液の臭いが混じった異様な空気が流れ出した。四人は恐る恐る中に足を踏み入れる。

懐中電灯の光が照らし出すのは、散乱したカルテ、倒れた点滴台、そして不自然にきれいに並べられた車椅子の列だった。

「なんか、思ったより整理されてない?」由香が小声で言った。「廃病院って、もっとぐちゃぐちゃになってるイメージだったけど」

確かに、放置されているにしては妙に秩序立っている。床には埃が積もっているものの、通路は歩けるように確保されていた。

四人は一階のロビーから二階へと向かった。階段を上がる度に、古い建物特有のきしみ音が響く。二階は病室が並ぶフロアだった。扉という扉は全て開け放たれ、中には錆びついたベッドが並んでいる。

「ねえ、なんか変じゃない?」美咲が振り返った。「電気が消えてるのに、なんとなく明るくない?」

言われてみれば確かにそうだった。月明かりだけでは説明のつかない、薄っすらとした明かりが廊下を照らしている。

その時、隆史が立ち止まった。

「静かにして」

四人は息を殺した。しんと静まり返った病院の中に、かすかに何かの音が聞こえる。

「あれ…手術室の方から音がしない?」由香が指差した先には、「手術室」と書かれたプレートが見える。

翔太が首を振った。「電気も来てないのに、音なんて…」

しかし、耳を澄ませば確かに聞こえる。金属と金属がぶつかり合う音、そして低く響く人の声。

「誰かの手術をしている声が聞こえる」隆史が青ざめて言った。

四人は手術室の前まで来た。扉には小さな窓があり、中を覗くことができる。翔太が恐る恐る窓に顔を近づけた。

「うそだろ…」

翔太の顔が真っ青になった。美咲が横から覗き込む。

手術室の中では、赤いライトが灯り、手術台の上に何かが横たわっていた。そして白衣を着た人影が、その周りを動き回っている。メスの光が赤いライトに反射して、不気味に光っていた。

「逃げよう」由香が震え声で言った。

四人は来た道を戻ろうとした。しかし、廊下を歩いていると、隆史が突然立ち止まった。

「待って…足音が変だ」

確かに、四人の足音とは別に、もう一つ足音が聞こえる。ペタ、ペタという湿った音。まるで素足で歩いているような音だった。

「急ごう」翔太が焦って階段に向かった時、背後から声が聞こえた。

「どちらへ行かれるのですか?」

振り返ると、薄暗い廊下の向こうに白い人影が立っていた。白衣を着た男性のようだが、顔は暗闇に隠れて見えない。

「手術の準備ができました。お待ちしておりました」

四人は一目散に階段を駆け下りた。しかし、一階に降りた時、驚愕の事実に気づく。

入って来た時の正面玄関が見当たらない。代わりに、そこには壁があった。

「おかしい…さっきここから入ったはずなのに」翔太が壁を叩いた。しかし、コンクリートの固い音が返ってくるだけだった。

その時、館内放送が流れた。古いスピーカーから雑音混じりの声が響く。

「患者様、手術室でお待ちしております。麻酔の準備も整いました。どうぞ、三階の手術室までお越しください」

「三階?さっき見たのは二階だったよね?」美咲が混乱した。

しかし、見上げれば確かに三階への階段がある。さっきまでは気づかなかった階段だった。

四人は他に選択肢がないことを悟った。窓という窓には鉄格子がはまり、扉という扉は全て施錠されている。唯一開いている道は、三階への階段だけだった。

仕方なく三階に上がると、そこは一本の廊下があるだけだった。廊下の奥に、赤いライトが漏れる扉がある。「手術室」のプレートが光っていた。

四人が手術室に近づくと、扉が自動的に開いた。中では、四つの手術台が並んでいる。それぞれの手術台の上には、四人の名前が書かれたプレートが置かれていた。

「翔太」「美咲」「由香」「隆史」

手術台の周りには、白衣を着た医師や看護師が立っている。しかし、全員の顔は包帯で覆われ、目の部分だけが黒く空いていた。

「お待ちしておりました」一人の医師が言った。「特別な手術をさせていただきます。痛みは感じませんので、ご安心ください」

四人は逃げようとしたが、体が動かない。足が床に貼り付いたように重くなっていた。

「この病院では、昔から特別な手術を行っております」医師が続けた。「患者様の『恐怖』を取り除く手術です。恐怖を感じる部分の脳を摘出いたします。術後は、何も怖がることのない、平和な毎日を送れますよ」

看護師たちが四人を手術台に運んだ。麻酔マスクが顔に当てられる。意識が朦朧としてくる中、翔太は最後の力を振り絞って叫んだ。

「やめろ!俺たちは…」

しかし、声は途中で途切れた。赤いライトが次第に暗くなっていく。

翌朝、廃病院の前で四人の大学生が発見された。四人とも笑顔を浮かべて座り込んでいたが、目は虚ろで、何を聞いても「怖いものなんて何もない」とだけ答えた。

四人は家族に連れ戻されたが、その後の人生で一度も恐怖を感じることはなかった。ホラー映画を見ても、高いところに立っても、危険な目に遭っても、彼らは微笑んでいるだけだった。

そして時折、夜中に「手術は成功しました」という声が聞こえると言っていたが、家族は誰もその声を聞くことはなかった。

廃病院は今も立っている。そして今夜も、赤いライトが三階の窓から漏れ、誰かの足音が廊下に響いているという。

恐怖を失った者たちの足音が。