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カーテンの向こう

カーテン

真理が初めてそれに気づいたのは、秋の夜中だった。

午前三時頃、何かに呼び覚まされるように目を開けると、部屋の窓際で薄い水色のカーテンがゆっくりと揺れているのが見えた。窓は閉まっている。エアコンも止まっている。夜風が入り込む隙間もない。それなのに、まるで誰かが裏側からそっと触れているかのように、カーテンは静かに揺らめいていた。

築二十年の一軒家の二階、角部屋にある真理の部屋は、普段なら安心できる場所のはずだった。小学生の頃から使っているこの部屋で、彼女は数え切れないほどの夜を過ごしてきた。壁に貼られた好きなバンドのポスター、本棚に並ぶ愛読書、机の上の小さな観葉植物。すべてが見慣れたものばかりで、怖がりな真理にとって唯一心から落ち着ける空間だった。

だが、その夜を境に、何かが変わってしまった。

翌日の夜も、また次の夜も、決まって午前三時頃に目が覚める。そして必ず、あのカーテンが揺れている。最初は空調の影響かもしれないと思った。古い家だから、どこか隙間風が入るのかもしれない。しかし、どれだけ窓枠を調べても、カーテンレールを確認しても、風が入り込むような場所は見つからなかった。

一週間が過ぎた頃、真理はカーテンの向こうに何かがいるような気配を感じ始めた。薄い生地越しに、人の形をした影がぼんやりと浮かんで見えるのだ。最初は錯覚だと思った。月明かりや街灯の光が作り出す影に違いない。そう自分に言い聞かせて、目をぎゅっと閉じて朝まで過ごした。

しかし、その影は夜を重ねるごとに鮮明になっていく。背の高い人影が、カーテンのすぐ向こう側に立っているのが分かるようになった。時々、その影は小さく動く。頭を左右に振るような仕草や、腕をゆっくりと上げ下げする動き。まるで真理を観察しているかのように。

「お母さん、最近よく眠れなくて」

ある朝、真理は勇気を出して母親に相談してみた。しかし母親は心配そうに額に手を当てながら、「受験のストレスね。温かい牛乳でも飲んでゆっくり休みなさい」と言うだけだった。父親に話しても、「思春期だから神経が敏感になってるんだ」と軽く流された。

誰も信じてくれない。それどころか、真理自身も自分の見ているものが現実なのか分からなくなってきた。昼間、太陽が部屋を明るく照らしている時間帯にカーテンを見ても、ただの古びた水色の布にしか見えない。夜が怖くて、友人の家に泊まった時は何事もなく朝を迎えることができた。

だから、これは自分の部屋で起こる現象なのだ。

二週間目に入った夜、ついに決定的な出来事が起こった。いつものように午前三時に目覚めた真理は、カーテンの影を見つめていた。すると、その影がゆっくりとカーテンに近づいてきたのだ。影は手をカーテンに押し当てるような動作をした。布地が内側から軽く押されて、手の形がくっきりと浮かび上がる。

真理の心臓は激しく鳴り、全身に冷たい汗が流れた。声を出そうとしても、喉が詰まって音にならない。影の手は十秒ほどカーテンを押し続けた後、ゆっくりと離れていった。

翌朝、真理はカーテンの該当箇所を調べた。手が触れていたはずの場所には、うっすらと手形のような跡が付いていた。汗じみのような、それでいて古い汚れのような、不自然な染み。それは洗濯をしても落ちなかった。

「もうだめ」

真理は限界を感じていた。夜が来るのが怖くて仕方ない。授業中も集中できず、友人との会話も上の空だった。このままでは精神的におかしくなってしまう。

ある夜、意を決した真理は枕元に懐中電灯を置いて眠った。今度こそ、カーテンの向こうの正体を確かめる。午前三時に目覚めた時、例の影がそこにあった。いつもより大きく、はっきりとした人影。

真理は震える手で懐中電灯を握りしめた。スイッチを入れる。明るい光が部屋を照らし出す。そして、思い切ってカーテンを勢いよく開けた。

そこには誰もいなかった。

窓の外は静かな住宅街の夜景が広がっているだけ。街灯の光がぽつぽつと点在し、隣家の窓も暗く閉ざされている。人の姿など、どこにも見当たらない。

「やっぱり、幻覚だったんだ…」

真理はほっと息をついた。ストレスと寝不足で、存在しないものを見ていただけだったのだ。そう思って振り返ると、部屋の反対側の壁に、大きな影が映っているのに気づいた。

それは真理の影ではなかった。背の高い人の影が、壁にくっきりと映し出されている。真理は恐る恐る振り返った。

自分のすぐ後ろ、一メートルほどの距離に、透明な人影が立っていた。月明かりに照らされて、輪郭だけがぼんやりと見える。顔ははっきりしないが、確実にこちらを見つめている。

真理は声にならない悲鳴を上げて、部屋から飛び出した。階段を駆け下り、リビングに逃げ込む。両親が驚いて起きてきたが、真理は何も説明できなかった。ただ泣くことしかできなかった。

その後、真理は一時的に祖母の家で過ごすことになった。そこでは何事もなく、穏やかな夜を過ごせた。一ヶ月後、恐る恐る自室に戻った真理は、カーテンを新しいものに替えてもらった。

それから数ヶ月が経った。もうあの現象は起こらない。真理は安心して元の生活を取り戻していた。

ところが、ある日、新しいカーテンを洗濯のために外していると、窓ガラスに奇妙な跡を発見した。手のひらを広げたような形の跡が、ガラスの外側にいくつも付いている。まるで誰かが外から中を覗き込もうとして、窓に手を当てたかのような跡。

真理の部屋は二階にある。外側から手を当てるには、梯子でも使わなければ不可能な高さだった。

そして、その跡をよく見ると、指が異常に長く、人間の手とは思えない形をしていることに気づいた。真理は青ざめて窓から離れた。その時、窓ガラスの向こうで、透明な何かがゆっくりと手を振っているのが見えたような気がした。

真理は二度と、夜中に窓の方を見ることはなかった。しかし今でも、カーテンを閉め忘れた夜には、誰かの視線を背中に感じることがある。振り返る勇気はない。きっと、振り返ってはいけないのだろう。

なぜなら、カーテンの向こうにいたのは、最初から外側ではなく、もっと別の場所からやってきた何かだったのだから。