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返却されなかったレンタルDVD

レンタルビデオ店

駅前の商店街の奥まった場所にある「ビデオマックス」は、今時珍しいレンタルビデオ店だった。高校三年生の俺、田中康介は、大学受験の資金稼ぎのためにここでアルバイトをしていた。店長の山田さんは六十代の温厚な男性で、DVDが主流になってからも頑なにVHSコーナーを残し続けている変わり者だった。

「康介くん、今日も遅番お疲れさま」

午後十時の閉店時間を迎え、山田さんが声をかけてきた。平日の夜は客足が途絶え、店内には古いエアコンの音だけが響いている。

「お疲れさまです。返却ボックスの回収、僕がやっておきますね」

店の外に設置された二十四時間返却ボックスには、閉店後に返しに来る客のDVDが入っている。俺は鍵を受け取り、ボックスを開けた。いつものように数枚のDVDケースが投函されていたが、その中に一枚、妙に古びたケースが混じっていた。

タイトルは「血塗られた館」。十年以上前のB級ホラー映画だった。ケースは色褪せ、角が擦り切れている。何より不思議なのは、このDVDが店の在庫にないことだった。

店に戻り、パソコンで検索してみる。確かに「血塗られた館」の貸出記録があった。借り主は「佐藤美香」。貸出日は二〇一二年十月三十一日。延滞日数は四千百二十三日。つまり、十一年以上も返却されていなかった。

「山田さん、これ見てください」

俺は画面を指差した。山田さんは眼鏡を直し、じっと記録を見つめる。

「ああ、これか。佐藤さんね…懐かしいな。常連さんだったんだが、ある日を境にぱったりと来なくなった」

「延滞料金、すごい金額になりますよね」

「もう時効だろう。それより、なぜ今頃返ってきたんだろうな」

山田さんの表情が曇った。俺も同じことを考えていた。十一年間も行方不明だったDVDが、なぜ今夜、返却ボックスに戻されたのか。

「中身を確認してみましょうか」

俺はケースを開けた。瞬間、鼻を突く生臭い匂いが立ち上がった。DVDディスクの下に、血で濡れた紙切れが挟まっていた。紙は手紙のようで、震える文字でこう書かれていた。

『助けて。私はまだ生きています。館の地下に閉じ込められています。誰か、誰か助けて。美香』

俺と山田さんは顔を見合わせた。手紙の血は乾ききっておらず、まだ湿り気を帯びている。

「いたずらでしょうか」山田さんが震え声で言った。

「でも、この血の匂い…本物みたいです」

俺は佐藤美香の住所を調べた。記録によると、市内の古い住宅街に住んでいるはずだった。時刻は午後十時半。もし本当に誰かが監禁されているなら、一刻も早く警察に通報すべきだった。

「山田さん、警察に…」

「待て」山田さんが俺の腕を掴んだ。「まず確認してみないか。もしいたずらなら、警察に迷惑をかけることになる」

俺たちは店を急いで閉め、佐藤美香の住所に向かった。車で十五分ほどの距離だった。到着した場所は、築四十年ほどの古い一軒家。表札には確かに「佐藤」と書かれていたが、家は真っ暗で、人の気配がない。

「誰もいないみたいですね」

俺が呟いた時、家の奥から微かに音が聞こえた。何かを叩くような、規則的な音。

「聞こえるか?」山田さんが耳を澄ませた。

音は確実に家の中から響いている。俺たちは恐る恐る玄関に近づいた。ドアは鍵がかかっていたが、窓の一つが僅かに開いていた。

「入ってみましょう」

俺は窓から家の中に侵入した。懐中電灯の光が古い家具を照らし出す。リビングには十一年前のカレンダーがそのまま掛けられ、テーブルの上には埃を被った茶碗が置かれていた。まるで時間が止まったような空間だった。

叩く音は地下から聞こえてきた。階段を降りると、そこは狭い地下室になっていた。奥の壁に鉄格子が取り付けられ、その向こうに人影が見えた。

「美香さん?」山田さんが声をかけた。

人影が振り返る。それは確かに女性だったが、髪は白髪になり、頬はこけ、まるで老婆のような姿だった。しかし目だけは、若い女性のものだった。

「助けて…やっと…やっと誰か来てくれた」

女性は涙を流しながら格子にしがみついた。俺は急いで格子の鍵を探したが、どこにもない。

「誰がこんなことを?」俺が尋ねると、女性は震え声で答えた。

「父よ…父が私を閉じ込めたの。あの映画を借りた日の夜に…」

「お父さんが?なぜ?」

「私が…私があの男性と付き合っていることを知って…結婚を反対されて…でも私は諦められなくて…それで父が怒って…」

女性の話を聞きながら、俺は異様な違和感を覚えた。十一年間も地下室に監禁されて、どうやって生きていたのか。食事は?水は?そして何より、この女性の見た目が異常に老けていることが気になった。

「美香さん、今何歳ですか?」山田さんが尋ねた。

「二十八歳…のはず…でも時間の感覚が…」

俺は計算してみた。十一年前に借りた時点で十七歳だったとすると、今は二十八歳のはずだ。しかし目の前の女性は、どう見ても五十代に見える。

その時、地下室の奥から別の声が聞こえた。

「美香…美香はどこだ…」

老人の声だった。俺たちは懐中電灯を奥に向けた。そこには白髪の老人が立っていた。服装は十一年前のもののようで、やはり時間が止まったような印象を受けた。

「お父さん…」美香が呟いた。

老人は俺たちを見ると、怒ったような表情を浮かべた。

「誰だ、お前たちは。なぜここに?」

「佐藤さんですか?娘さんを助けに来ました」山田さんが言った。

老人は首を振った。

「美香は悪い子だ。悪い男と付き合って、家を恥ずかしめた。だから反省するまで、ここにいるんだ」

俺は背筋が凍る思いだった。この老人は十一年間、娘を地下室に監禁し続けていたのか。

「でも、もう十一年も…」

「十一年?何を言っている。まだ一週間しか経っていない」

老人の時間感覚は完全に狂っていた。俺たちは急いで警察に通報しようとしたが、地下室には電波が届かない。

「上に上がって電話しましょう」俺が山田さんに言った時、美香が何かを思い出したように口を開いた。

「あの映画…『血塗られた館』…あれは呪われている…」

「呪われている?」

「借りた人は皆、不幸になる…前に借りた人も、行方不明になったって…」

俺は嫌な予感がした。過去の貸出記録を調べ直す必要があった。

「山田さん、一度店に戻りませんか。過去の記録を調べてみましょう」

俺たちは一旦その場を離れ、ビデオマックスに戻った。パソコンで「血塗られた館」の過去の貸出履歴を調べると、驚愕の事実が判明した。

このDVDは過去十回貸し出されており、借りた人は全員、借りた直後に行方不明になっていた。そして全員、家族から「地下室に監禁されている」という通報があったが、警察が調べても何も見つからなかった。

「これは…」山田さんが震え声で言った。

俺は突然、恐ろしい仮説を思いついた。もしかすると、あの地下室は現実ではないのかもしれない。あの映画を見た人は、映画の世界に引き込まれ、永遠に監禁される呪いにかかるのではないか。

そして今夜、DVDが返却されたということは…

「山田さん、僕たちも呪いにかかったんじゃないでしょうか」

山田さんの顔が青ざめた。時計を見ると、午前零時を回っていた。俺たちがあの家を訪れてから、既に一時間以上経っている。

「康介くん、君はまだ若い。逃げなさい」

「山田さんも一緒に」

「いや、私はもう年だ。それに、店を任されている以上、この呪いと向き合わなければならない」

その時、店の入り口のチャイムが鳴った。閉店しているはずなのに、誰かが入ってきたのだ。

振り返ると、そこには先ほど地下室で見た美香が立っていた。しかし今度は若い姿に戻っていた。十七歳の頃の美香だった。

「ありがとう…やっと自由になれた…」

美香は微笑んだが、その笑顔は恐ろしく冷たかった。

「でも…今度はあなたたちの番…」

美香の姿が薄れていく。同時に、店内の電気が消え、真っ暗になった。俺と山田さんは手探りで懐中電灯を探したが、見つからない。

暗闇の中で、映写機の音が響き始めた。どこからか『血塗られた館』の映像が投影され、俺たちはその光景に釘付けになった。

映画の中で、主人公が地下室に監禁されるシーンが流れている。そして俺は気がついた。映画の中の主人公の顔が、俺の顔に変わっていることに。

「これが呪いか…」山田さんが呟いた。

画面の中の俺は、鉄格子の向こうで助けを求めて叫んでいる。そして現実の俺も、だんだん意識が朦朧としてきた。

最後に俺が見たのは、DVDケースの中に新しい血塗られた紙切れが現れる光景だった。そこには震える文字でこう書かれていた。

『助けて。僕たちはまだ生きています。店の地下に閉じ込められています。誰か、誰か助けて。康介・山田』

翌朝、ビデオマックスの常連客が店を訪れると、シャッターが降りたままだった。店の前の返却ボックスには、一枚のDVDが入っていた。『血塗られた館』。そして十年後、また誰かがこのDVDを借りることになるのだろう。

呪いは永遠に続く。レンタルビデオ店が存在する限り、この恐怖の連鎖は断ち切れない。