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放課後の窓際

放課後

私が赴任した中学校は、郊外の小さな町にあった。築40年を超える校舎は随所に古さを感じさせるが、生徒たちは明るく元気だ。新任教師として3年2組の担任を任された私は、初めての教壇に立つ緊張と期待で胸が一杯だった。

着任から一週間が経ち、学校の雰囲気にも少しずつ慣れてきた頃、不思議なことに気付き始めた。それは放課後の教室で起こる現象だった。

生徒たちが下校した後、私は教室で翌日の授業準備をしていた。夕暮れ時、窓から差し込む橙色の光が教室を温かく照らす。その時、窓際の一番後ろの席に視線を感じた。

振り返ると、そこに誰もいないのは当然だった。教室には私一人。だが、窓際の席だけが、他の席より少し暗く見える気がした。気のせいだろうと思い、作業を続けた。

次の日も同じだった。放課後の教室で仕事をしていると、また窓際の席に違和感を覚えた。今度ははっきりと、誰かが座っているような気配がした。カーテンが微かに揺れている。窓は閉まっているはずなのに。

「誰かいるの?」と声をかけたが、返事はない。恐る恐る近づくと、カーテンの揺れは止み、何もなかったかのように静かになった。その席の机には、薄い埃が積もっていた。他の机より少し多く。

気になって職員室に戻り、ベテランの国語教師・高橋先生に聞いてみた。「3年2組の窓際の後ろの席って、何か…」と言いかけると、高橋先生の表情が一瞬こわばった。

「気にしなくていいよ」と高橋先生は言った。「古い校舎だから、いろんな噂はあるさ」それ以上は話したがらなかった。

翌日の朝礼で出席を取っていると、窓際の後ろの席が空いていることに気づいた。「この席は誰の?」と尋ねると、教室が妙に静かになった。

「先生、その席は使ってません」と級長が答えた。「去年から…」 「なぜ?」 「佐藤さんが…その…」

言葉を濁す生徒たち。放課後、教頭先生に聞いてみると、昨年度、その席に座っていた佐藤という生徒が不慮の事故で亡くなったという。窓から転落したらしい。

「迷信みたいなものですが、生徒たちはその席を避けるんです」と教頭は苦笑した。「新学期になったら、机の配置を変えましょう」

その日の放課後、私は意を決して窓際の席に座ってみた。窓の外には校庭が見える。部活動に励む生徒たちの姿。そして徐々に沈みゆく夕陽。

ふと窓ガラスに目をやると、私の後ろに立つ人影が反射して見えた。振り返ると、そこには誰もいない。再び窓に目をやると、今度は見えなかった。

次の日から、気になって毎日その席に座るようになった。特に何も起きない。だが、いつも微かに誰かの気配を感じる。そして教室の温度だけが、その席の周辺だけが、少し低い。

一週間後、古い出席簿を整理していると、昨年度の3年2組の写真が出てきた。窓際の後ろの席に座る生徒を見て、私は息をのんだ。見たことのある顔だった。

それは先日、職員室で会った転校生だった。まだクラスには来ていない、来週から通うという生徒。どうして昨年の写真に…?

震える手で高橋先生に写真を見せた。「この生徒、転校してくるって聞いたんですが…」 高橋先生は写真を見て、青ざめた顔で言った。「そんなはずはない。佐藤さんは去年…」

次の日、予定通り転校生がやってきた。写真の生徒にそっくりだが、名前が違う。坂本という。

授業が始まり、自己紹介をする坂本さん。私の視線が泳ぐ。彼女は教室を見回し、ふと窓際の後ろの席に目をとめた。「あそこ、空いてますか?」と尋ねる。

クラス中がどよめいた。「別の席にしたら?」と私は提案したが、彼女は首を横に振った。 「あそこがいいです。窓からの景色が好きなんです」

その日の放課後、坂本さんは窓際の席で一人、何かを書いていた。近づくと、彼女は振り返って微笑んだ。「先生、この学校って素敵ですね。ずっとここにいたかったんです」

窓の外は夕暮れ。彼女の横顔が夕陽に照らされ、一瞬、透けて見えた気がした。そして彼女の机の上には、昨年度の古い教科書が開かれていた。