MENU

午前四時の来訪者

勤怠管理システム

佐伯健太は、総務部に配属されて三ヶ月目の朝、いつものようにオフィスの勤怠管理システムのチェックから一日を始めた。新入社員でありながら、勤怠管理を任されるようになったのは、彼のまじめな性格と几帳面さが評価されたからだった。

モニターに映る表計算ソフトのデータを眺めながら、佐伯は眉をひそめた。昨日の出勤記録に見覚えのない名前があった。

「三島…洋介?」

佐伯は小さく呟いた。総務部にいる以上、社員の名前は把握しているつもりだったが、この名前に見覚えはなかった。しかも、出勤時間が午前4時となっていた。

「おかしいな…」

念のため、佐伯は社員名簿を確認した。しかし、三島洋介という名前は見当たらない。システムのバグだろうか。データ入力のミスか。そう思い、前日の記録も確認してみると、そこにも同じ名前があった。三島洋介、出勤時間午前4時。

佐伯は不思議に思い、さらに過去の記録を遡ってみた。すると、彼が総務部に来る前から、毎日同じ時間に三島洋介の名前が記録されていることがわかった。

「部長、ちょっとよろしいですか」

佐伯は恐る恐る上司の斎藤部長に声をかけた。

「三島洋介さんという方、うちの会社にいらっしゃいますか?」

斎藤部長は一瞬、顔色を変えた。

「どうして…その名前を知っている?」

佐伯は勤怠システムの画面を見せながら説明した。斎藤部長は長い間黙り込んだ後、重い口調で話し始めた。

「三島は…10年前にここで働いていた。私の同期だ。だが、彼は深夜残業の帰り道、事故で亡くなった。それ以来、その名前は口にしないようにしているんだ」

佐伯は背筋が凍るのを感じた。死んだ人間の出勤記録がなぜシステムに残るのか。しかも毎日、午前4時という不自然な時間に。

「システムの不具合かもしれません。確認してみます」と佐伯は言ったが、斎藤部長は険しい表情で彼を見つめた。

「余計なことはしないほうがいい。そのまま放っておけ」

その夜、佐伯は家に帰れなかった。どうしても気になって、午前4時にいったい何が起きるのか確かめようと決めたのだ。

オフィスは深夜になると、別世界のように静まり返る。蛍光灯のわずかな明かりだけが、廊下を照らしていた。佐伯はセキュリティルームに忍び込み、監視カメラのモニターを見つめていた。

午前3時55分。佐伯の心臓が激しく鼓動を打ち始めた。

午前3時58分。エントランスのカメラに何かが映った。黒い影のようなものが、ゆっくりとドアから入ってくる。

午前4時ちょうど。その影は勤怠管理のカードリーダーに近づき、何かをかざした。システム画面には「三島洋介:出勤」の文字が浮かび上がった。

佐伯は息を呑んだ。確かにそこに「何か」がいる。しかし、カメラではその姿ははっきりと映らない。ただの人型の黒い影だった。

翌朝、佐伯は目の下にクマを作りながら出社した。昨夜見たものが夢だったと思いたかったが、システムには確かに三島洋介の出勤記録が残っていた。

その日から、佐伯は毎晩会社に残り、監視カメラを通して午前4時の訪問者を観察するようになった。不思議なことに、日に日にその影はカメラにはっきりと映るようになっていった。最初は輪郭だけだったものが、次第に人の形に、そして顔の特徴まで見えるようになってきた。

それは三十代半ばの、穏やかな表情の男性だった。

一週間後、佐伯は再び深夜のオフィスで監視カメラを見ていた。午前4時、いつものように黒い影がエントランスから入ってきた。しかし今日は、その影はセキュリティルームのドアの前で立ち止まった。

佐伯は凍りついた。監視カメラの画面越しに、影が正面を向いた。まるで、カメラの向こう側にいる佐伯を見ているかのように。

そして、影は口を開いた。

「佐伯くん、毎日見てくれてありがとう」

声は監視カメラのスピーカーからではなく、背後から聞こえた。振り返ると、そこには黒い影が立っていた。

佐伯は叫び声も上げられないまま、震えた。影はゆっくりと近づいてきて、彼の肩に手を置いた。その手は冷たかった。

「おはよう、佐伯くん。今日も一緒に働こうね」

影の顔がはっきりと見えた。穏やかな表情の、しかし確かに死者の顔だった。

「ぼ、僕は…」

「君が気になっていたんだ。毎日僕の記録をチェックしてくれて」影は笑った。「この会社、僕がいなくなってからずいぶん変わったね。でも、僕はまだここにいるよ。毎日午前4時に出社して、誰もいないオフィスで仕事をしている」

佐伯は恐る恐る尋ねた。「な、なぜ…こんな時間に?」

「あの事故の日、僕は締め切りに間に合わせるために徹夜するつもりだった。でも、疲れて帰ることにしたんだ。その帰り道で…」影の声は途切れた。「もし午前4時まで残っていれば、事故には遭わなかった。だから、僕は毎日その時間に出社して、やり残した仕事をしているんだ」

「で、でも…もう10年も…」

「そうだね。でも、最近君が僕に気づいてくれた。久しぶりに誰かと話せて嬉しいよ」

影は佐伯の肩から手を離し、ドアの方へ向かった。

「明日も来るよ。それに、もうすぐ新しい仲間も増えるんだ」

「新しい…仲間?」

影は振り返り、穏やかな笑みを浮かべた。「ああ、この前から時々見かける女性社員さ。彼女も最近よく残業しているよね。君も知っているはず、総務部の鈴木さん」

佐伯の顔から血の気が引いた。鈴木さんは彼の隣の席に座る女性社員で、確かに最近プロジェクトの締め切りで毎晩遅くまで残っていた。

「彼女、明後日の深夜、終電を逃して会社の近くの交差点で事故に遭うんだ。でも大丈夫、その後は僕たちと一緒に、午前4時から仕事ができるから」

影はドアを開け、廊下へと消えていった。佐伯はその場に立ちすくんだまま、動けなかった。

翌朝、佐伯は震える手で鈴木さんにメールを送った。 「明後日は絶対に残業しないでください。何があっても、必ず定時で帰ってください」

返信はすぐに来た。 「どうしたの急に?でも無理よ。締め切り前だから、少なくとも午前3時くらいまでは残らないと…」

佐伯は急いで鈴木さんの席に向かった。どうしても彼女を説得しなければならない。そして彼は決心した。もう一度、午前4時に三島さんに会おう。彼女を救う方法を聞くために。

そして今夜も、彼は再び空っぽのオフィスで、黒い影の訪れを待っている。