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深夜の鏡面通話

スマホ

私の名前は直樹。普通の大学生だ。アルバイトと学業の両立でいつも忙しい毎日を送っている。この話は、一週間前の深夜に起きた、今でも理解できない出来事についてだ。

その日は特に遅くまで課題に取り組んでいた。時計を見ると午前2時37分。もう限界だと思い、パソコンを閉じて布団に倒れ込んだ。疲れ切っていたので、すぐに眠りに落ちるはずだった。

そこに、スマホの着信音が鳴り響いた。

「誰だよ、こんな時間に…」

画面を見ると、知らない番号からのビデオ通話リクエストだった。非通知ではなく、ちゃんと番号は表示されている。でも心当たりはなかった。普通なら無視するところだが、なぜか私は通話ボタンを押してしまった。

画面が切り替わり、相手の映像が表示されるまでに数秒かかった。そして映し出されたのは——

暗い部屋の中で、スマホを持つ自分自身の姿だった。

最初は冗談か何かだと思った。誰かが私の写真を使って悪ふざけしているのだろうと。でも、その「私」は動いている。同じ服を着て、同じ疲れた顔をして、まるで鏡に映った自分を見ているようだった。

「お、おい…」

声を出すと、画面の中の「私」も同時に口を動かした。けれど、私の耳には自分の声しか聞こえない。相手からの音声はない。

恐る恐る右手を上げてみると、画面の「私」も右手を上げた。完全に鏡のように同期している。冷や汗が背中を伝った。

「これは一体…」

そのとき気づいた。画面の背景が、今私がいる部屋と似ているようで、微妙に違う。ポスターの位置が逆だったり、本棚の配置が少し異なっていたりする。まるで左右反転した世界のように。

試しに、スマホを持つ手を変えてみた。左手でスマホを持ち直すと、画面の中の「私」も同じように左手でスマホに持ち替えた。

「もしもし?聞こえる?」

何度か声をかけてみたが、反応はない。ただ、私の動きに合わせて動くだけの「私」がいる。

怖くなって通話を切ろうとしたその瞬間、画面の「私」の表情が変わった。私がしていないはずの、不気味な笑みを浮かべたのだ。そして、ゆっくりと右手を上げ、人差し指で画面を指した。

その指は、私のスマホ画面の「終了」ボタンを指している。

震える手で通話を切った私は、すぐにベッドから飛び起き、部屋の電気をつけた。鏡に映る自分の顔は青ざめている。

あの通話は何だったのか。誰かのいたずらか、それとも疲れからくる幻覚だったのか。

翌朝、通話履歴を確認すると、確かに深夜2時40分からの3分間の通話記録が残っていた。勇気を出して番号に電話をかけ返してみたが、「この番号は現在使われておりません」というメッセージが流れるだけだった。

その日は普通に過ごした。授業に出て、友達と話して、アルバイトに行って。でも、どこか落ち着かない気持ちが続いていた。

そして、その夜も同じ時間に着信があった。

今度は出るべきではないと思った。でも、知りたい気持ちの方が強かった。震える指で通話ボタンを押す。

昨日と同じように、画面には「私」が映っていた。だが、今日の「私」は少し違う。表情が疲れているようで、目の下にクマができていた。私自身も同じ状態だった。

恐る恐る手を振ってみると、やはり「私」も手を振る。ただ、今日はその動きがほんの少し遅れているように感じた。

「お前は誰だ?」

質問しても返事はない。代わりに、画面の「私」はスマホをカメラモードに切り替えた。そして、ゆっくりとカメラを回転させ、部屋の様子を映し始めた。

そこに映っていたのは、確かに私の部屋だが、何かが違う。本棚に並ぶ本のタイトルが読めないほど不鮮明で、窓の外は深い闇に包まれている。そして、部屋の隅には、昨日まで確かになかった黒い影のようなものがうっすらと見える。

恐怖で震えながらも、私は画面から目を離せなかった。カメラがゆっくり回転し、最後に「私」の顔に戻った時、その表情は昨日よりも明らかに暗く、目が空洞のように見えた。

その晩も、怖くなって通話を切った。

三日目の夜、また同じ時間に着信があった。もう出るべきではないと分かっていたのに、私は通話ボタンを押してしまった。

画面に映る「私」は、もはや私とは言えないほど変わり果てていた。顔色は青白く、目は充血し、髪は所々抜け落ちている。服は同じものを着ているはずなのに、汚れていて破れていた。

そして、部屋の背景も明らかにおかしい。壁には亀裂が入り、天井からは何かが垂れ下がっている。その「私」の後ろには、あの黒い影がより濃く、より大きく映っていた。

「私」はゆっくりと口を開いた。音声はないが、口の動きから何かを訴えているように見えた。必死に口の形を読み取ろうとする私。

「に…」 「に…げ…」 「逃げろ…」

そう言っているように見えた。

突然、画面の「私」の後ろにある黒い影が動いた。それはゆっくりと「私」に近づき、不定形な手を伸ばしていった。「私」の表情が恐怖で歪む。

「おい!後ろ!」

思わず叫んだが、「私」には聞こえていないようだった。黒い影は「私」の肩に手を置き、そしてゆっくりと引きずり始めた。

「私」は悲鳴を上げているように見えた。必死に抵抗するが、力なく床に倒れていく。スマホもろとも床に落ち、画面には天井だけが映る。そして、「私」の手だけが画面の端に映り、それが何かに引きずられるように動いて、やがて見えなくなった。

部屋は静まり返り、画面には誰もいなくなった。

そのまま数分間、私は固まっていた。やがて、画面が動き始めた。誰かがスマホを拾い上げたようだ。

そして映し出されたのは——

黒い影だった。人の形をしているが、顔の特徴は闇に溶けて見えない。ただ、その目だけが赤く光っていた。

影はゆっくりとスマホを持ち上げ、画面を覗き込んだ。そして、まるで私を見つめるかのように、ぞっとするような笑みを浮かべた。

通話はそこで切れた。

その後、私は警察に相談したが、「ただのいたずら電話か、ストーカー行為の可能性がある」と言われただけだった。番号は確かに存在するが、登録情報はなく、発信位置も特定できないという。

それから一週間、私はずっと不安に怯えながら過ごしている。毎晩同じ時間に同じ番号から着信があるが、もう出る勇気はない。ただ、無視するたびに、未読メッセージが増えていく。

「お前の番だ」 「こっちに来る時間だ」 「逃げられない」 「あと一日」

そして今日、私は恐ろしい事実に気づいた。鏡に映る自分の姿が、少しずつあの「私」に近づいていることに。髪は薄くなり始め、目の下のクマは深くなり、そして何より、後ろにうっすらと黒い影が見えるようになってきた。

スマホの画面には「あと0日」というメッセージが表示されている。

そして今、また着信が鳴っている。

今度は、誰が画面の中にいるのだろうか。

私は、震える手で通話ボタンを押した。