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ナースコールが鳴る部屋

ナースコール

東京郊外の総合病院で夜勤の看護師として働く私、佐藤美咲は、この仕事を始めて3年になる。夜勤は大変だが、静かな時間帯に仕事をすることに慣れてきた。しかし、あの夜から私の日常は少しずつ歪み始めた。

その日は9月の肌寒い夜だった。午後11時を過ぎると病棟はいつもより静かになり、私は夜間の巡回チェックを済ませて看護ステーションに戻った。カルテの整理をしていると、突然、ナースコール表示板のランプが点灯し、小さなアラーム音が鳴った。

「513号室…」

私は画面を見て首を傾げた。513号室は昨日患者さんが退院したばかりで、今は空室のはずだった。システムの誤作動かもしれない。しかし看護師として、どんな異常も無視はできない。

私は懐中電灯を手に取り、暗い廊下を513号室へと向かった。廊下の蛍光灯は夜間モードで薄暗く、私の足音だけが静寂を破っていた。

ドアを開けると、部屋は予想通り空だった。カーテンで仕切られたベッドは整えられ、誰も使った形跡はない。ナースコールボタンもテーブルの上に置かれたままだった。私はボタンを手に取り、念のため確認してみたが、何も異常はなかった。

「気のせいかな…」

そう思いながら部屋を出ようとした瞬間、背後で何かが動いた気がした。振り返ると、カーテンがわずかに揺れている。窓は閉まっていたはずだが、古い建物なので隙間風かもしれない。私は首を振り、ステーションに戻った。

それから30分後、再び513号室からのナースコールが鳴った。

「おかしいな…」

今度は同僚の田中さんも一緒に部屋へ向かった。しかし結果は同じで、部屋には誰もいなかった。

「システムの不具合じゃない?メンテナンスに連絡しておきましょうか」と田中さんが言った。

「そうね、明日朝にでも報告しておくわ」

その夜はそれで終わったが、翌日からも同じ時間帯に513号室からのナースコールは続いた。メンテナンスの人がシステムをチェックしても異常はなく、むしろ「完璧に動いている」との報告だった。

三日目の夜、私は再び513号室からのコールで部屋へ向かった。部屋に入ると、いつもと同じく誰もいなかったが、ベッドのシーツにわずかなくぼみがあるように見えた。誰かが座っていたような形だ。私は恐る恐るそのくぼみに手を伸ばしたが、何も感じなかった。

部屋を出る際、鏡に映った自分の姿を見て驚いた。首元に小さな赤い点が見える。まるで針で刺されたような痕だ。看護師の仕事をしていると小さな傷はつきものだが、この痕はいつついたのか思い出せなかった。

四日目、私が513号室を確認しに行くと、今度はナースコールボタンがベッドの上に置かれていた。昨日までは必ずテーブルの上にあったはずだ。私はゆっくりとそれを元の位置に戻した。その晩、私は首の痛みで目が覚めた。鏡を見ると、赤い点がもう一つ増えていた。

五日目になると、病棟の他のスタッフも異変に気づき始めた。誰かが話している時、513号室の方向から聞こえる小さな物音。夜間、その部屋の前を通ると感じる冷たい空気。そして何より不気味だったのは、513号室に新しい患者が入る予定が立たないことだった。予約システムでは常に「メンテナンス中」と表示され、病院側も理由がわからなかった。

六日目の夜、私は勇気を出して深夜の513号室に長く留まることにした。ナースコールが鳴った直後、私は部屋に入り、椅子に座って30分ほど待ってみた。何も起きなかったが、部屋を出る直前、かすかな声が聞こえたような気がした。

「助けて…」

振り返ると、部屋には相変わらず誰もいなかった。しかし、ベッドのシーツには明らかな窪みがあり、まるで誰かが横たわっているかのようだった。恐怖で体が硬直する中、私は勇気を振り絞ってベッドに近づいた。

「どうしました?どなたですか?」

返事はなかったが、窪みはゆっくりと形を変え、やがて消えていった。その夜、私の腕には新たな赤い点が三つ現れた。

七日目、私は図書館で病院の過去の記録を調べることにした。そして衝撃的な事実を知った。一年前のちょうど同じ時期、513号室で若い女性患者が亡くなっていた。彼女は難病で、最期の数日間はナースコールを何度も押したにもかかわらず、システムの不具合で看護師に気づかれなかったという。彼女は一人で苦しみながら亡くなったのだ。

その情報を知った夜、私が513号室に入ると、部屋の空気が違っていた。重く、冷たく、まるで誰かの悲しみが凝縮されているようだった。ナースコールボタンがベッドの上で小刻みに震えていた。

「あなたは…助けを求めていたのね」私はゆっくりと言った。「誰も来なくて、苦しかったでしょう…」

その瞬間、部屋の温度が急激に下がり、私の息は白い霧となった。ベッドの窪みが再び現れ、今度ははっきりと人の形をしていた。

「もう大丈夫よ。あなたのことを忘れてはいないわ」

私はベッドに近づき、思い切ってその窪みに手を置いた。氷のように冷たい感触がしたが、それは徐々に暖かくなっていった。

「ごめんなさい…もっと早く気づけばよかった…」

その夜を最後に、513号室からのナースコールは鳴らなくなった。しかし、それ以来、私の体に現れていた赤い点も消えることはなかった。医師に診てもらっても原因はわからず、ただの皮膚のアレルギー反応だろうと言われた。

一ヶ月後、病院は513号室を改装し、新しい患者の受け入れを再開した。私は相変わらず夜勤を続けている。時々、巡回中に513号室の前を通ると、かすかな温かさを感じることがある。

そして今日、病院の古い記録を整理していた時、私は偶然、一年前に513号室で亡くなった患者の写真を見つけた。彼女の首には、小さな赤い点がいくつもあった。私の体にあるものと全く同じだった。彼女の症状の一つだったのだろうか?それとも…

私は自分の首元の赤い点に触れ、ぞっとした。今夜もまた、513号室の前を通る時、誰かに見守られているような感覚がするだろう。そして私はきっと、その存在に小さく頷きかけるのだ。彼女は今、一人ではない。そして私もまた、いつか誰かに気づいてもらえるはずだ。

私の首元の赤い点は、今日も一つ増えていた。