MENU

消えたテントの仲間

テント

夏休み最後の週末、私たち家族は奥多摩の湖畔キャンプ場で過ごしていた。父、母、私、そして小学校三年生の弟の大輝。都心の暑さから逃れるように選んだこの場所は、昼間でも涼しく、夜には肌寒いほどだった。

キャンプ場はそれほど大きくなく、湖に面した平らな敷地に十数張りのテントが点在していた。私たちのテントは湖から少し離れた林の端に設営した。隣接するサイトには、若いカップルと思われる二人組のテントがあった。夕方に挨拶を交わした時、彼らは感じの良い人たちに見えた。

その夜、BBQを楽しんだ後、私たちは早めにテントに入った。明日は早朝から釣りをする予定だったからだ。大輝は興奮して なかなか眠れずにいたが、やがて私の横で寝息を立て始めた。

午前二時頃だったと思う。何かの気配で目が覚めた。大輝がもぞもぞと動いている。

「どうしたの?」私は小声で聞いた。

「お兄ちゃん、あっちのテントの人が手招きしてる」

大輝は寝袋から身を起こし、テントの入り口の方を指差した。私は眠い目をこすりながら外を覗いてみた。確かに、私たちのテントから少し離れた場所に、昼間は見かけなかったテントがあった。薄っすらと内側から明かりが漏れ、人影がゆらゆらと動いているのが見える。

「きっと夜遅くに到着した人たちだよ。もう寝なさい」

私はそう言って大輝を寝かせようとしたが、彼は頑として聞かなかった。

「でも、手を振ってるよ。こっちにおいでって言ってるみたい」

大輝の声に不安が混じっていた。私も改めて外を見たが、距離があるためはっきりとは見えない。ただ、確かにテントの中で何かが動いているのは分かった。

「お兄ちゃん、一緒に見に行こう」

「だめだよ。夜中に知らない人のところに行くもんじゃない」

しかし、大輝は聞く耳を持たなかった。突然、彼はテントの出入り口のファスナーを開け始めた。

「大輝、やめろ!」

私が止める間もなく、大輝は外に出て行ってしまった。慌てて追いかけようとしたが、サンダルを探している間に、大輝の小さな影は暗闇の中に溶け込んでしまった。

「大輝!」

私は声を上げそうになったが、他のキャンパーを起こしてしまうことを恐れて声を潜めた。両親は隣の寝袋で深く眠っている。起こすべきか迷ったが、すぐに大輝が戻ってくると思い、一人でテントの外に出た。

外は想像以上に暗く、月明かりだけでは足元も覚束なかった。携帯電話のライトを頼りに、大輝が向かったと思われる方向を探した。しかし、昼間確認したキャンプ場の配置では、あの場所にはテントなど無かったはずだ。

不安が胸を締め付けた。私は大輝の名前を小声で呼び続けたが、返事はない。風の音と、遠くで鳴く虫の声だけが聞こえてくる。

三十分ほど探し回った後、私は諦めて両親を起こすことにした。父と母は事情を聞くと、すぐに管理棟に連絡を取り、懐中電灯を借りて本格的な捜索を始めた。

キャンプ場の管理人も加わり、私たちは隅々まで探した。しかし、大輝の姿はどこにもなかった。そして何より不可解だったのは、大輝が向かったはずのテントが見当たらないことだった。

「確かにあそこにテントがあったんです」

私は管理人に必死に説明したが、彼は首を振った。

「このキャンプ場の利用者は全て把握しています。昨夜遅くにチェックインした方はいませんし、あの場所は水はけが悪いため、テント設営禁止区域になっています」

夜が明けてから、警察も加わって捜索が行われた。しかし、大輝は見つからなかった。湖の中も調べられたが、何の痕跡もない。まるで忽然と消えてしまったかのようだった。

その日の午後、私は一人で現場を歩き回っていた。両親は警察の事情聴取を受けており、私は自分なりに手がかりを探そうと思ったのだ。

昨夜、大輝がテントがあると言った場所に立った時、足元に何かが光っているのに気づいた。しゃがんでよく見ると、それは小さなプラスチック片だった。よく見ると、それはテントのファスナーの引き手の一部のようだった。そして、その周りの地面には、確かにテントが設営されていたような痕跡があった。草が円形に押し潰され、ペグが打たれたような小さな穴が等間隔で空いている。

私の背筋に寒気が走った。間違いなく、ここにテントがあったのだ。では、それはどこに消えたのか。そして、大輝は何に呼ばれて行ったのか。

その時、風に乗って かすかに子どもの笑い声が聞こえた気がした。振り返ると、湖の向こう岸の森の奥から、誰かがこちらを見ているような気配を感じた。しかし、目を凝らしても、そこには木々の影があるだけだった。

大輝が行方不明になってから既に一週間が経っている。警察の捜索も縮小され、両親は憔悴しきっている。私だけが、あの夜の真実を知っている。

昨夜、私は一人でそのキャンプ場に戻った。管理人には内緒で、フェンスを乗り越えて敷地内に入った。大輝がいなくなった場所で一晩中待っていると、午前二時頃、また同じ場所にテントが現れた。

今度ははっきりと見えた。それは確かにテントの形をしていたが、どこか歪んでいる。まるで子どもが描いた絵のような、現実離れした形だった。そして、その中から漏れる光も、普通の電灯やランタンの光ではない。何か生き物が発するような、有機的な輝きだった。

テントの中で、影がゆらゆらと動いている。よく見ると、それは一つではなく、複数の小さな影だった。子どもたちの影だ。そして、その中の一つが、間違いなく大輝の影だった。

影たちは楽しそうに遊んでいるように見えた。手を繋いで踊ったり、飛び跳ねたりしている。そして時々、テントの外に向かって手を振る。まるで、新しい仲間を呼んでいるかのように。

私は恐怖で動けずにいた。あのテントに近づけば、私も大輝と同じ運命を辿ることになるかもしれない。しかし、弟を見捨てることもできない。

結局、私は何もできずに朝まで待った。夜明けとともに、またしてもテントは跡形もなく消えてしまった。残されたのは、押し潰された草と、新しいペグの穴だけだった。

今、私はこの体験を記録に残している。もし同じような体験をした人がいるなら、絶対にそのテントに近づいてはいけない。あれは、この世の存在ではない。子どもたちを永遠に自分たちの世界に引き込むための、巧妙な罠なのだ。

大輝は今も、あの影の世界で楽しく遊んでいるのかもしれない。しかし、それは彼が望んだことなのだろうか。私にはもう、確かめる術はない。

ただ一つ確かなのは、今夜もどこかのキャンプ場で、あの偽のテントが現れ、新しい仲間を探しているということだ。そして、純粋な子どもたちが、その甘い誘いに騙されて、二度と戻ることのない世界へと足を踏み入れているのかもしれない。