私が中央高校のテニス部に入部したのは、四月の桜が散り始めた頃だった。部室は古い体育館の裏手にあり、その奥には更に古い倉庫が併設されている。先輩たちは皆優しく、新入部員の私にも丁寧に指導してくれた。
「倉庫の奥には古い道具がたくさんあるから、掃除の時は気をつけてね」
部長の田中先輩がそう言った時、なぜか声のトーンが少し変わったような気がした。でも、その時は深く考えなかった。
入部から一週間が経った頃、倉庫の整理を任された。ラケットやボール、ネットなどが雑然と積まれた薄暗い空間で、私は奥の方に向かって作業を進めていた。すると、古いラケットケースの陰に、異様に黒ずんだラケットが立てかけられているのを見つけた。
そのラケットは明らかに他とは違っていた。フレームは所々が焼け焦げたように黒く変色し、ガットは半分以上が切れてだらりと垂れ下がっている。グリップ部分には何かが焼き付いたような跡があり、よく見ると人の手の形のようにも見えた。
「これ、使えるのかな」
私は何の気なしにそのラケットに手を伸ばした。触れた瞬間、異様な冷たさが指先から腕全体に走った。まるで氷水の中に手を突っ込んだような感覚だった。
「おい、何してる!」
突然の声に振り返ると、三年生の山田先輩が血相を変えて立っていた。
「そのラケットには絶対に触るな!」
山田先輩は私の手を乱暴に引き離し、ラケットを元の場所に戻した。
「すみません、知らなくて…」
「知らないじゃ済まない。このラケットには触ってはいけないって、代々言い伝えられてるんだ」
山田先輩の顔は真剣そのものだった。
「どうしてですか?」
「昔、このラケットを使っていた先輩が火事で亡くなったんだ。それ以来、このラケットに触ると不幸が起こるって言われてる」
私は背筋が寒くなった。しかし、その時はまだ半信半疑だった。
翌日の練習中、一年生の佐藤が突然倒れた。ボールを追いかけている最中に転倒し、右手首を骨折したのだ。救急車で運ばれる佐藤を見送りながら、私は昨日のラケットのことを思い出していた。
「まさか、関係ないよな…」
しかし、不幸はそれだけでは終わらなかった。
一週間後、二年生の鈴木先輩が練習中にラケットが手から滑り落ち、足の甲に落下して打撲を負った。さらにその三日後には、三年生の伊藤先輩がネットに足を引っ掛けて転倒し、膝を痛めた。
部内に不安が広がった。普段なら起こらないような怪我ばかりが続いている。そして、私だけがその原因を知っていた。あの焼け焦げたラケットに触れてしまったことを。
私は山田先輩に相談することにした。放課後、人気のない部室で話を切り出した。
「山田先輩、あのラケットのこと、もっと詳しく教えてください」
山田先輩は深いため息をついた。
「仕方ない。全部話そう」
二十年前、中央高校テニス部のエースだった先輩がいた。全国大会出場を目指し、毎日遅くまで練習していた。そのラケットは彼の愛用品だった。
ある日の夜、いつものように一人で練習していた彼は、体育館で火災に遭った。電気系統のトラブルが原因だった。彼は逃げ遅れ、愛用のラケットを握ったまま命を落とした。
「それ以来、あのラケットに触った者には必ず怪我が起こる。軽いものから重いものまで、必ずだ」
「でも、なぜ処分しないんですか?」
「昔、先生が処分しようとしたことがあった。でも、翌日には必ず元の場所に戻ってる。何度やっても同じだった。だから、もう誰も触らないことにしたんだ」
私は震え上がった。自分のせいで部員たちが怪我をしていると思うと、胸が締め付けられた。
「どうすれば止められますか?」
「分からない。ただ、時間が経てば収まるかもしれない」
しかし、怪我は続いた。一年生の田村が階段から転落し、コーチの先生までもが練習中にボールを顔面に受けて鼻血を出した。部の雰囲気は最悪になり、退部者まで出始めた。
私は責任を感じ、一人で倉庫に向かった。あのラケットともう一度向き合わなければならないと思った。
薄暗い倉庫で、私は再びあの焼け焦げたラケットと対面した。近づくと、ひどく冷たい空気を感じた。そして、ラケットをよく見ると、グリップの焼け跡がより鮮明に見えた。確かに人の手の形だった。
「すみません」
私は心の中で謝った。
「私が触ったせいで、みんなが怪我をして。どうすれば許してもらえますか?」
その時、倉庫の奥から風が吹いてきた。窓は閉まっているのに、なぜか風を感じた。そして、ラケットのガットが微かに震えているのに気づいた。
恐る恐るラケットに近づくと、グリップの部分に文字のようなものが浮かび上がった。焼け跡の中に、うっすらと文字が見える。
「練習…続けて…」
私は息を呑んだ。亡くなった先輩が、まだテニスを続けたがっているのだろうか。
翌日、私は部長の田中先輩に全てを話した。田中先輩は最初は信じなかったが、相次ぐ怪我の不自然さを考えると、無視できないと判断した。
「分かった。今度の日曜日、部員全員であのラケットに向き合おう」
日曜日の午後、テニス部員全員が倉庫に集まった。私は皆にラケットの前に案内した。部員たちは皆、そのラケットの異様さに息を呑んだ。
「今から、皆でお祈りをしよう」
田中先輩が提案した。
「先輩、安らかに眠ってください。私たちは先輩の分まで、一生懸命テニスを続けます」
全員で黙祷を捧げた。すると、不思議なことが起こった。倉庫内の冷たい空気が和らぎ、どこか温かさを感じるようになった。
その日を境に、部内での怪我はぴたりと止んだ。まるで何事もなかったかのように、平穏な日々が戻ってきた。
しかし、物語はここで終わらない。
それから三か月後の夏合宿で、私たちは驚くべき発見をした。合宿所の古いテニスコートで練習をしていた時、コートの隅に古い写真が落ちているのを見つけたのだ。
写真には二十年前のテニス部の集合写真が写っていた。そして、その中央に写っていたエースの先輩が持っているラケットを見て、私たちは愕然とした。
それは、あの焼け焦げたラケットと全く同じデザインだった。しかし、写真の中のラケットは新品同様に美しく輝いていた。
写真の裏には、達筆な文字でこう書かれていた。
「全国大会出場記念 昭和七十九年 テニス部一同 ~永遠に共に~」
私たちは気づいた。あの先輩は、死してなお私たちと一緒にテニスを続けたかったのだ。ラケットに触れることで怪我をしたのは、先輩なりの「一緒に練習しよう」という誘いだったのかもしれない。ただ、生者と死者では、その表現方法が違いすぎただけなのだ。
それ以来、私たちは練習前に必ずあのラケットに向かって挨拶をするようになった。
「先輩、今日も一緒に頑張りましょう」
倉庫の奥で、焼け焦げたラケットは今日も静かに私たちを見守っている。時々、ガットが風もないのに微かに震えることがある。それは、先輩が私たちのプレーを見て、満足しているサインなのだと、私たちは信じている。
そして、中央高校テニス部は、その年の県大会で準優勝という快挙を成し遂げた。表彰台で涙を流す私たちを、きっと先輩も一緒に喜んでくれていたに違いない。