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射的屋の人形

射的

夏祭りの喧騒が夜空に響く中、俺は射的屋の前で銃を構えていた。隣で友人の拓也が「もう十発も外してるじゃん」と笑っているが、俺の集中力は途切れない。狙いを定めているのは、店の奥の方に置かれた古びた人形だった。

他の景品とは明らかに異質なその人形は、薄汚れた着物を着た女の子の形をしていて、髪は乱れ、顔は煤けて表情がよく見えない。なぜかその人形だけが俺の視線を引きつけて離さなかった。

「あの人形、気味悪いな」拓也が呟いた。 「だからこそ撃ち落としたいんだよ」

俺は銃口を人形に向け、息を止めて引き金を引いた。コルクの弾がまっすぐ飛んで、人形の胸元に命中する。カタン、という乾いた音と共に、人形は台から転がり落ちた。

「やったー!」俺は思わず声を上げた。

しかし、射的屋の店主の表情は曇っていた。五十代くらいの痩せた男で、深いしわが刻まれた顔に困惑の色が浮かんでいる。

「あー、それは…」店主は言いかけて口をつぐんだ。「まあ、撃ち落としたんだから仕方ないか」

店主は渋々といった様子で人形を拾い上げ、俺に差し出した。手に取ると、思っていたより重く、古い木材のような匂いがした。人形の顔をよく見ると、黒い瞳が妙にリアルで、まるで生きているかのような錯覚を覚える。

「この人形、いつからここに?」俺は店主に聞いた。 「さあ、親父の代からあったからな。もう何十年も前のもんだ」店主は視線を逸らした。「大切に扱ってくれよ」

拓也と二人で祭りを楽しんだ後、俺は人形を抱えて帰宅した。自分の部屋の本棚の上に人形を置き、シャワーを浴びて床についた。

翌朝、目を覚ますと人形の位置が変わっていた。昨夜は本棚の右端に置いたはずなのに、今は左端にある。きっと地震か何かで移動したのだろうと思い、気にしないことにした。

しかし、翌日も人形は移動していた。今度は本棚から机の上に移っている。さすがに地震では説明がつかない。母親に聞いてみたが、部屋には入っていないという。

三日目の朝、人形は俺のベッドの枕元に立っていた。まるで俺の寝顔を見つめていたかのように。背筋に寒気が走ったが、きっと誰かのいたずらだろうと自分に言い聞かせた。

その日の夕方、拓也からの電話で異変を知った。

「昨日から連絡が取れない友達がいるんだ」拓也の声は不安に満ちていた。「祭りの時、一緒にいた美香ちゃん、覚えてる?」

美香は俺たちの大学の同級生で、祭りの日は最後まで一緒にいた。確か射的屋の前でも、俺が人形を撃ち落とす瞬間を見ていたはずだ。

「家族も心配してるし、警察にも連絡したらしい。最後に見たのは一昨日の夜、家の近くのコンビニだって」

電話を切った後、俺は人形を見つめた。人形は今度は窓際に移動していて、外を見つめているように見えた。まさか、とは思うが、美香の失踪とこの人形に関係があるのだろうか。

その夜、俺は人形を押し入れにしまい込んだ。しかし、朝になると人形は再び部屋に戻っていて、今度は俺の勉強机の椅子に座っていた。まるで俺の帰りを待っていたかのように。

「冗談じゃない」俺は人形を掴んで外に出た。近所のゴミ捨て場に捨てるつもりだったが、なぜか足が向かない。結局、人形を抱えたまま家に戻ってしまった。

翌日、拓也から更なる悪い知らせが届いた。今度は祭りで一緒にいた別の友人、健太が行方不明になったのだ。

「警察も本格的に動き出してる。二人とも最後に目撃されたのは、なぜか射的屋の近くなんだ」拓也の声は震えていた。「なんか、俺たちも気をつけた方がいいかも」

その夜、俺は人形を厳重に箱に入れ、ガムテープで封をした。しかし、翌朝には人形は箱から出て、俺のベッドの足元に立っていた。箱は元の場所にあり、ガムテープは綺麗に剥がされていた。

もう我慢の限界だった。俺は射的屋の店主に電話をかけた。祭りの運営委員会に問い合わせて、なんとか連絡先を聞き出したのだ。

「あの人形のことで話があります。返しに行きたいんです」

電話の向こうで、店主は長い沈黙の後、「そうか、やっぱりそうなったか」と呟いた。

「明日の夜、店に来てくれ。一人でな」

翌日の夜、俺は人形を抱えて射的屋に向かった。祭りの会場は片付けられていたが、射的屋だけはまだ営業していた。

「来たな」店主は暗い表情で俺を迎えた。「その人形、元の場所に戻してくれ」

俺は人形を台の上に置いた。すると、店主は深いため息をついた。

「この人形にはな、昔から言い伝えがあるんだ。この人形を家に持ち帰った者は、必ず不幸に見舞われる。そして、その人形を見た者も同じ運命を辿る」

「何ですって?」俺の声は震えた。

「昔、この人形を持ち帰った客がいた。その客は一週間後に交通事故で死んだ。その後も、この人形を家に持ち帰った者は必ず不幸に見舞われる。だから俺は、この人形だけは絶対に景品として渡さないようにしていたんだ」

「じゃあ、美香ちゃんや健太は…」

「その人形を見た者も、同じ運命を辿る。きっと、もう…」店主は言葉を切った。

俺は愕然とした。あの夜、射的屋の前にいた友人たちは皆、この人形を見ていたのだ。

「でも、俺はまだ無事じゃないですか」

「まだ一週間経ってないからな。しかし、この人形を元の場所に戻せば、呪いは解ける。昔からそう言われている」

俺は安堵の息をついた。しかし、店主の次の言葉で血の気が引いた。

「ただし、一つ条件がある。この人形を二度と人目に触れさせてはならない。今夜、この人形を燃やす」

店主は人形を火にくべた。人形は炎に包まれながら、まるで悲鳴を上げているかのように見えた。俺は恐怖で足が震えた。

「これで終わりだ」店主は言った。「もう二度と、この人形が人を苦しめることはない」

安心して家に帰った俺は、久しぶりにぐっすりと眠った。翌朝、拓也から電話があった。

「信じられないことが起きた。美香ちゃんも健太も、昨夜突然家に帰ってきたんだ。二人とも記憶を失っていて、この数日間のことを全く覚えていないらしい」

俺は胸を撫で下ろした。呪いは解けたのだ。

しかし、その日の夜、俺は異変に気づいた。スマートフォンで自撮りをした時、画面に映った自分の後ろに、あの人形の影がうっすらと映っていたのだ。

慌てて振り返ったが、そこには何もない。再びスマホの画面を見ると、人形の影はより鮮明になっていた。そして、その人形の顔は、間違いなくこちらを見つめていた。

俺は震え上がった。人形は燃やされたはずなのに、なぜスマホの画面に映るのか。

その時、俺は恐ろしい真実に気づいた。あの人形は、物理的な存在ではなかったのだ。それは呪いそのものだった。そして、その呪いは俺の中に住み着いてしまった。

スマホの画面の中で、人形がゆっくりと微笑んだ。その笑顔は、まるで「これからもずっと一緒だよ」と言っているかのようだった。

俺は絶望した。この呪いから逃れる方法はない。そして、俺がこの呪いを他の誰かに移さない限り、この恐怖は永遠に続くのだ。

翌日から、俺は人混みを避けるようになった。なぜなら、人の多い場所でスマホのカメラを向けると、必ずあの人形が映り込むからだ。そして、その人形を見た者もまた、同じ運命を辿ることになるのだと、俺は本能的に理解していた。

しかし、運命は残酷だった。ある日、電車の中で偶然、後輩の田中に出会った。田中は俺のスマホを覗き込み、「面白い加工アプリですね」と言った。

その瞬間、俺は田中が人形を見てしまったことを悟った。そして、数日後、田中の失踪が報告された。

俺は震え上がった。この呪いは、俺を通じて他の人々にも伝播していくのだ。俺は歩く災いになってしまった。

今でも、俺のスマホの画面には、あの人形が映り続けている。そして、その人形の表情は日に日に邪悪になっていく。まるで、更なる犠牲者を求めているかのように。

俺は今、この文章を書いている。これを読んだ者は、きっと俺と同じ運命を辿ることになるだろう。しかし、俺にはもう他に選択肢がない。

この呪いから逃れるためには、誰かに移すしかないのだ。そして、あなたがこの文章を読んだ瞬間、あの人形は、もうあなたのそばにいる。

振り返ってはいけない。そこには、きっとあの人形が立っているから。