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影の主

歩道

毎日同じ時間に家を出る。毎日同じ歩道を通る。毎日同じように会社に向かう。そんな平凡な日常が、あの日から変わり始めた。

最初に気づいたのは、かすかな足音だった。カツン、カツン。自分の足音とわずかにずれて聞こえる。振り返ってみても、そこには誰もいない。「気のせいか」と思い、そのまま歩き続けた。

次の日も同じ歩道を歩いていると、また聞こえてきた。カツン、カツン。昨日より少し近くに感じる。振り返っても誰もいない。ただ、一瞬だけ、歩道の影が動いたような気がした。

三日目、会社帰りの夕暮れ時。歩道に落ちる自分の長い影を眺めながら歩いていると、後ろから足音が聞こえてきた。カツン、カツン。もう無視できないほど近い。振り返ると、20メートルほど後ろに、黒い服を着た人影が立っていた。見知らぬ人が同じ方向に歩いているだけだろう。そう思い、再び前を向いた。

しかし、その後も足音は同じ間隔で続いた。距離が縮まることも、広がることもない。完全に一定の間隔を保っていた。不安になって急いで歩くと、後ろの足音も速くなる。ゆっくり歩くと、後ろの足音もゆっくりになる。

四日目、雨の朝。傘をさして歩いていると、後ろから聞こえてくる足音。カツン、カツン。振り返ると、黒い服の人影は50メートルほど後ろにいた。昨日より遠い。ほっとして前を向き、歩き続けた。

会社に着く直前、ふと思い立って振り返った。黒い服の人影は、たった10メートル後ろにいた。心臓が高鳴った。こんなに近づいていたなんて。

「何か用ですか?」声をかけてみたが、返事はない。ただそこに立っているだけ。顔がよく見えない。傘が邪魔をしているのか、それとも…。

五日目、晴れた朝。いつもの歩道を歩いていると、やはり後ろから足音が聞こえてきた。今日は振り返らないと決めていた。そう、振り返らなければ、あの人影は存在しないのだと自分に言い聞かせた。

しかし、足音が近づいてくる。カツン、カツン、カツン。もう真後ろにまで迫っている。冷や汗が背中を伝う。そして、肩に何かが触れた瞬間、思わず振り返った。

そこには誰もいなかった。歩道には自分一人だけ。ほっとしたのもつかの間、足元に自分の影があることに気づいた。朝日が背後から差し込んでいるから、影は前にできるはず。なのに、なぜ足元に?

恐る恐る上を見上げると、真上に黒い人影が浮かんでいた。顔はない。ただ黒い輪郭だけ。

叫び声を上げて走り出した。後ろを振り返らず、ただひたすら走った。会社に着くと、同僚たちに「顔色が悪いよ」と言われた。何があったのか説明できなかった。

六日目、違う道を選んだ。遠回りになるが、あの歩道は避けたかった。新しい道を歩いていると、不思議と心が軽くなる。あれは単なる気のせいだったのだろう。そう思い始めていた矢先、後ろからカツン、カツンと足音が聞こえてきた。

今日こそ正体を確かめようと、勢いよく振り返った。そこには、自分と同じ顔をした人影が立っていた。ただ、その目は漆黒で、じっと自分を見つめていた。

口を開こうとした瞬間、人影は自分に向かって歩き始めた。そして、まっすぐに自分の中に入ってきた。冷たい感覚が全身を駆け巡る。

今日も私は歩道を歩いている。いつもの時間に家を出て、いつもの道を通って。そして、後ろから聞こえる足音を無視しながら。